「やっと大熊に帰ってこれたな」

一般社団法人 おおくままちづくり公社
事務局長 愛場学さん
(2019年4月取材当時)

2019年06月10日掲載

大熊町出身、大熊町役場に勤めて22年の愛場さん。
2017年に発足した「おおくままちづくり公社」の事務局長に就任し、復興が進む大熊町のまちづくりに取り組む。
2019年4月10日、大熊町の一部の避難指示が解除され、4月14日には大川原地区に新庁舎が開庁。
住民の帰還も少しずつ進んでいるという。

──町役場の開庁式と同時にまちびらきイベントが行われました。町民の方々の様子はいかがでしたか?

 

 

私も手伝いとして参加させてもらいましたけど、やっぱり「やっと大熊に帰ってこれたな」という感じでしたね。

 

なかなか町民同士で関わる機会というのが今までなかったのですが、県内外から町民の方々が来られて、ちょっとした同窓会ですかね。懐かしい顔に会って、お互い喜んでいた様子が非常に微笑ましかったなとおぼえています。

 

 

 

──町の一部の避難指示が解除されるまで8年かかりました。どのようなことが印象に残っていますか?

 

 

震災当時、避難指示が出されて町内が警戒区域になり、その後に避難区域の見直しがあったりと、少しずつ町の状況が変わっていくなかで、正直なところ、個人的には「本当に大熊町に戻れるようになるのか」という気持ちがありました。バリケードが張られて、町内に入るのにも許可証が必要でしたので。

 

ただ、2年くらい前から大川原での「特例宿泊」という制度が始まり、去年は「準備宿泊」があり、そして今年の4月10日に避難指示が解除されました。日を追うごとに復興が少しずつ進んでいる気がします。

 

私自身も5月から役場へ戻って勤務します。大熊町内に職員の宿舎が建てられたのですが、その宿舎に私も住むことになったので、8年ぶりに大熊町に住んで仕事をします。

本当に感慨深いものがありますね。難点としては、まだ周りにお店などが何もないということですが、のんびり過ごしながら、ゆっくり待ちたいと思います(笑)

 

本当に戻れるのかわからないと不安でしたが、こうして現実に大熊町で生活ができる。そのことがすごくありがたいですね。

──まちづくり公社には、当初の立ち上げから関わってこられたのですか?

 

 

そうですね。最初は検討委員会を立ち上げて、「どういった業務をすべきか」とか、「会社を立ち上げるにはどういった手続きがあるのか」ということを職員で検討しました。

本格的にまちづくり公社としての業務が始まったのは昨年4月からなので、今は丸々1年が終わったというところです。

 

庁舎に隣接する災害公営住宅 50戸が建ち並ぶ

 

 

──公社の取り組みとしては、どのようなものがあるのでしょうか?

 

 

「つくる・つなぐ・つたえる」という3要素を公社の役割としています。

 

「つくる」というのは、不動産の利用者を新しくつくりながら、地域サービスの市場をつくっていくこと。

 

「つなぐ」というのは、復興支援員たちが現在進めている「ふるさと絆づくり事業」のなかで、人と人との繋がりをつくったり、新たな産業をつくるために、不動産所有者と事業者を繋いだりということもありますね。

 

「つたえる」というのは、視察対応等で復興の様子を伝えること。さらに町の歴史や、今の大熊の状況を正直に伝えることですね。復興だけ見せてしまうと、廃炉や中間貯蔵などの課題の側面が見えてこないので、そういったところも内外に伝えなければいけないと考えています。

──復興が進むなかで、町の情報を発信していくことは重要ですよね。

 

 

町の状況が目まぐるしく変わっているわけではないのですが、今年度は避難指示が解除になったことや、大川原地区の復興が進んでいることもありますので、公社のこれからの自主事業としては視察対応をしていく予定です。

 

多くの方々が、避難指示が解除された大熊町に興味を持っています。一方、町内にはいまだに避難指示が解除されない帰還困難区域もあります。そのような町の様子をすべからく見てもらって、見てもらうことで復興に一緒に関わってくれる人が出てくればいいですし。見ていただくこと自体が、情報発信になるのではないかなと思います。

 

 

 

──SNSを用いた情報発信などもされているのでしょうか?

 

 

大熊町としては公式Facebookを運用しています。今はイベントや行事を紹介していますが、広報担当の部署では、より様々な情報を出していくことを検討しています。

 

避難指示が解除になりどんどん復興が進んでいる。そういった状況の中、リアルタイムでどんどん情報を出していかないと。結局避難指示が解除されたのに、「何が変わったの?」、「変わったように見えない」と思われかねないので、その見せ方が大事だと思っています。

 

「大熊って楽しそう」と周囲に思ってもらうためには、まず自分たちが楽しまないといけない。そう思いますね。そこに人を呼んで、「一緒に楽しもうよ」という感じで。

──先日開庁した新庁舎ですが、以前と比べて大きく変化した部分や特徴などはありますか?

 

 

前の庁舎はコンクリート造りの3階建てで、いわゆる「役場」といったかんじでした。

新しい庁舎については、山間地域である大川原に建てられたということで、自然の色味を損なわないようなつくりになっています。建物の正面の部分が木目になっていたり。

 

さらに庁舎内には「多目的ホール」という空間があります。こちらでは会議などもできて、町民の方々にも様々な目的で使っていただけます。

 

新庁舎は役場の庁舎ではありますが、我々行政の職員だけのものではなく、町民の方々が気軽に訪れることができる場所にしていきたいと考えています。

 

大熊町の新庁舎

 

 

──庁舎自体が交流の場になるのですね。

 

 

そういうふうにしていかないと。「誰のための建物なの?」って話ですよね。

多目的ホール以外は執務スペースなので、ワーッと入ってこられちゃうと大変ですが(笑)

 

役場の職員だけではなくて、いろんな人が親しみの持てる役場にしないと、町民の方々は入りづらいし、我々も硬くなってしまいます。

 

行政機能としても、今までは会津に拠点があって、他にもいわき、大熊、郡山と、4か所に分かれていたので、新庁舎に集まることで職員同士のコミュニケーションも良くなると思います。

──震災以降は行政の拠点が分かれたり、町民の方が県内外に避難されましたが、他の自治体との協力や連携も増えましたよね?

 

 

それはもう。町民の避難先の自治体との連携、例えば会津若松市さんとの連携は必須ですし。県外からもいろいろと支援をいただいて、いまだに繋がりもありますね。

 

避難された町民の方々のコミュニティは県外にも

変な話ではありますが、地震が起きて避難をして、避難先の別の自治体に移ってからは、その自治体との繋がりが非常に強くなったと感じています。それまではほとんど関わることがない自治体もありましたので。

 

いま我々が町に戻るので、今度は助けていただいた方々を町にお呼びして、新たな交流が生まれればと思います。お世話になったからには、恩返しをしなきゃいけない。

 

大熊まで来るのは大変でしょうけどね(笑)

 

 

 

photo: 石井敬之
text: 山田敬