「かつて農地があった」とは言わせない!

農業生産法人 緑里 代表
河原修一さん

2018年01月17日掲載

川内村で生まれ育った河原さん。ご自身は兼業農家であり、震災の年の10月までは森林組合に勤務していた。一念発起して林業会社である株式会社緑樹(りょくじゅ)を設立したのが2012年3月のことだ。

河原さん:

あの頃はみんな避難して、森林の保育と生態が放置され荒れ放題だった。それで「おれがやる」と会社を立ち上げました。
最初は仕事が無かったのですが、川内村の除染が始まり、業者さんから手伝ってくれないかと頼まれ、除染活動を始めました。最初は自分1人でしたが、徐々に作業してくれる人たちが増え、10人くらいになりました。ほとんどの人が避難先から通っていましたね。
農地の除染が主だったため、除染が終わって綺麗になった農地を見て思いました。「この綺麗な農地も1年2年放置されると、荒れ放題になってしまう」、「将来、かつてここに家があった、農地があったというくらいになってしまうのかな」と。当時は「もう帰らない」という人が多かったからね。そう思ったらとても悔しくて、悔しくて。

そんな時、川内村に農業実証試験をやらないかという話が福島県から舞い込んできた。水田やリンドウの作付だ。河原さんは名乗りを上げて、農業分野にも乗り出すことになる。

河原さん:

農地を借り受けて農業を始めてみたところ、「作ってくれ」という依頼がたくさん来て、全部で7ヘクタールもの農地が集まりました。川内村では、高齢化、後継者不足などで離農する農家がただでさえ多かったので、今回の震災でなおさらですよね。

その後も耕作の依頼が数多く来るようになり、河原さんは2015年4月、農業を専業とする農業生産法人緑里(みどり)を立ち上げた。

河原さん:

農業を個人ではなく団体(グループ)でやるのがうちの特徴であり、いろいろな地区から「うちもやってほしい」と依頼が来るようになりました。今までは断っていましたが、1ヘクタール単位でまとまった形で農地があるならば、今後は積極的に引き受けて行こうかなと思うようになってきました。
富岡町や楢葉町の方でも2~3ヘクタールまとまっているならば、手を拡げてみようかと思い始めています。皆さんが困っているので。
ある時、せがれの知り合いのいわきの方から「機械が壊れて稲刈りができない。代わりに稲刈りをしてもらえないか」と電話で依頼されました。「うちで作業すると、遠方なので作業料金が高くなってしまう」と言ったのですが、「それでもいいよ」と言われてしまいました。その時は「赤字でも仕方ない」とハラを括りました。折角困って電話をくれたのだから助けてやらないと。

河原さん:

川内村も戻ってくる若い人は少ないですよ。子どもが避難先の学校に通っている。避難先で家を建ててしまい、帰ってこないという人もいて、働く人がなかなかいないんです。
ただ、緑里では、地元の女の人や双葉郡出身の人が、ぜひうちに来てやってみたいと言ってくれました。また、福島県の農業短期大学校(矢吹町)からもひとり来て、働いています。

朝の8時から作業をしているという女性陣。

河原さん:

今は稲作が20ヘクタール。エゴマが5.5ヘクタール。リンドウが0.4ヘクタール。この3本が主力です。最近はエゴマに力を入れています。ここらではエゴマのことを「じゅうねん」と呼んでいます。昔からじゅうねんで、野菜を茹でたのとちょっと絡めて食べたり。「じゅうねんぼたもち」と言ってキナコとすりエゴマをまぶして砂糖やアンコと食べたり。
最近では、エゴマオイルにガーリックを漬けて、パスタソースにしたり、そうめんにかけたり、サラダにかけて食べたり。これがなかなか評判良いんです(笑)
エゴマは搾油施設を川内村で作る計画で、ゆくゆくは川内村の特産品にしようと考えています(笑)

河原さんが販売する「エゴマオイル」

これは油用の黒エゴマ。シソ科なのでシソの良い香りが漂う。

故郷の農地と農業の再生が、河原さんの願いだ。

photo & text: 石井敬之